アフリカ学会第61回大会実行委員会×FENICS 共催サロン「お互い院生、結婚・出産どう決めたお金は?日々の子育てのリアル」①(2024年5月19日開催)イベントリポート
「慣習的な男性観と研究と子育て」
大谷琢磨(日本学術振興会RPD/立命館大学)
2024年アフリカ学会において、夫婦で学生結婚するまでのことをお話しした。今回は、夫の視点から当日お話しした内容をご紹介する。
私は1年9か月勤めていた前職をやめて、2015年に一貫制博士課程の大学院に入学した。2人の関係の時系列的な進展についてはすでにパートナーのエッセイで紹介されているのでここでは割愛する。いわゆる学生結婚をするまでに、どのようなことを考えてきたのかについて焦点を当てる。
私はこれまで結婚や子育てへの決断をするタイミングで、毎度、「定職につかずお金もない学生なのに」という理由で躊躇してきたのだが、実際に経験してみるとこのような不安が漠然としたものだったということを感じる。しかし、この考えは硬く自分を縛っていて、その根本は自分のなかの人生観や男性観だった。「仕事をして給料を得て一人前」「男が家庭を養う」という考えを古いと感じるのだが、いざ自分事となると、これらの観念が重くのしかかってきた。パートナーが何度「学生でもなんとかなる」「一緒に支え合って生活しよう」と言っても、その縛りはなかなかほどけなかった。結局、パートナーからその不安がいかに実態にそぐわないものか、エクセルで作られた表を見せられながら論理的に説明されてようやく気持ちに踏ん切りがついたほどだ。
すでに述べた男性観、家庭観は昭和的な観念で時代錯誤だと批判するのは簡単だが、周囲の男性たちのあいだには根強く残っている。このお話をした後、同種の観念に過去縛られていたというコメントを先輩研究者から受けた。また、参加者の8~9割は女性だったことは、男性のあいだの慣習的な観念に対する疑いや批判の視点が薄いことを示しているかのようだ。
結婚や子育てを経験した後では、先生方や先輩から「子どもが生まれて責任感が生まれてしっかりした」「子どもを養わないといけない」などと声をかけられた。自分もPDやRPDの申請書作成や、博論の執筆をしている際には、頭に子どもの姿が何度も思い浮かび、「家族を養う」ということへのプレッシャーや焦りを感じて奮起した。確かに、博論の執筆などについては、独身の頃は自分のタイミングでとズルズル引き延ばしていたのだが、子どもが生まれることが分かると、書かなければならないというプレッシャーを感じた。
家族への責任感は自分の体を蝕むこともある。2019年度から2021年度半ばまで、ありがたいことに学振DC2に採用されて、生活費には困らなかった。採用期間終了後、生活費を捻出するために、知人の紹介でホテルの夜勤バイトをはじめ、週1日働き始めた。日中は研究活動に時間を割きたかったので、夜勤はちょうどよいと思っていた。子どもが数か月後に生まれることから、生活費を増やすために勤務日数を増やしたところ、逆流性食道炎を患い、しばらくまともに食事ができなかった。睡眠時間を削ると胃の調子が悪くなるため、健康を考えて、夜勤と夜間の研究活動をやめた。しかし、子どもが生まれたあと、24時間続く子育てにそんなことは言っていられず、胃の調子は悪化した。結局、胃腸科への通院は1年半続いた。
自分たちは親や行政、周囲の支えを受ながら、結婚生活と子育て、研究活動を続けられてきたと思っている。それでも、もっと周りに頼ればよかったと思うことも少なくない。何というか、ここでも慣習的な男性観というのだろうか、個人的な性格というのだろうか、積極的に他人に相談することを避けるというのがある。他人に相談したり、弱みを見せたりすることに躊躇してしまう。そのせいで、博論執筆の際は大変に苦労した。
ある時、指導教員から、過去に博論を執筆した先輩から早朝4時に原稿が届くこともあったと誇らしそうに話されることがあった。自分の執筆が遅々として進まないことを受けての話なのだが、前述の通り、自分は胃を悪くして研究活動を日中に限定していた。また、子どもが生まれてから数か月は、日中も子育てをして研究活動に時間をさけなかった。子どもを保育園に通わせるようになった後も、子どもが夜中に起きるなどして十分に寝られる日は少なかった。執筆に充てられる時間も限定され、ただでさえ遅い執筆スピードがさらに遅れる状況で、指導教員から子育ては言い訳にならないということを冗談めかして言われることもあり、内心こたえた。
最近では、出産後、女性だけでなく、男性も産後うつ患うことが増えているようだ。これまで通りの家族を養うことや仕事に対する責任感と、子育てを両立しようとすることで、精神的に追い詰められてしまうそうだ。自分も子どもが生まれた直後には、よく分からないが涙が出るということもあった。今思うと自分もバイトと執筆と子育ての両立で精神的に疲れていたのかもしれない。
育児中の男性が子育てを相談する場所や機会は限られているように思う。同じように保育園に子どもを送り迎えしても、ママ友やパパ友ができる機会は少ない。自分の大変さを周囲に表現しづらい性格、もしくは男性観というのは、自分の身を壊すものでしかなく、もっと周囲に、「博論を書かなければならないが全然進まない」や「子育てで疲れた」や、「生活するためにお金を稼がなければならない」ということに思い悩んでいると相談すればよかったと今になって思う。
パートナーも同じくらい大変な経験をしてきたことは承知の上で、苦労話を書き綴った。このエッセイを書いている最中にも、子どもを抱っこしすぎて左手の手首から先に力が入らなくなり、整体に通っている。男性研究者からの研究と子育ての両立に関する書きものというのは、そこまで多くないと思うので、何かの参考になれば幸いだ。