FENICS メルマガ Vol.132 2025/8/25 

 
 
1.今月のFENICS
 
 酷暑の8月、おわろうとしています。FENICSの皆さま、それぞれに、夏はいかがでしたか。編集人は、小1と中1との夏休みが終わろうとしています。新学期にむけ学校プリントを確認していたところ、忘れていた宿題があったことに気づき、親子必死の8月末です。
  国外にいらした方は、日本に帰国すると昼夜をとおして暑さが続くことに、日本の夏の異様さを感じておられるでしょう。一体いつまで続くのか、あるいはこれが日本の夏となるのか。
 戦後80年のこの夏、さまざまなドキュメンタリーも放映されました。イベントも開催されました。イベント報告などおありでしたら、ぜひともおよせください。フィールドからの便りもお待ちしています。
 
それでは、本号の目次です。
 
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1 今月のFENICS
2 子連れフィールドワーク⑤(松井生子・金子栞)
3 私のフィールドワーク④(吉崎亜由美)
4 FENICSからのお知らせ
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2.子連れフィールドワーク
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子連れフィールドワーク@カンボジア (5)カンボジアの友達
  
    松井生子(文化人類学・東南アジア地域研究/日本女子大学 学術研究員/FENICS会員)
 
 2024年、6年生の私の子ども、金子栞(2025年現在は中学1年生)が、母である私のフィールドであるカンボジアに二回目に訪れたときのことを書いたので、本連載のしめとしたい。
 
  二度目のカンボジア     金子栞
 
  私は、夏休みの間にカンボジアという国にお母さんと行きました。最初に泊まったのは、首都プノンペンです。初めて行ったのは4年生の時で、いろいろと警戒していましたが、その時とは違いとてものびのびと過ごすことができました。お母さんの知り合いに会いに行ったり、その辺を散歩したりしました。
  
  8月24日にタクシーで村に移動しました。村は、プノンペンや日本と全く違い、シャワーもないしパソコンのWi-Fiもつながっていなくて、皆はスマホを使って生活していました。村に移動して3日目くらいに村の子たちとも仲良くなってよく一緒に遊ぶようになりました。特に、ハープという男の子と気が合って、腕相撲をしたり、TikTokを見せてもらったりしました。
  
  ハープは、ときどきどこかに出かけて缶や金属を拾ってきて、きれいに磨いたりしていました。私は、「なんでこんなガラクタみたいなの拾ってくるんだろう?チャンバラにでも使うのかな」と考えました。そのあとに、「缶や金属類を売るんだよ」と教えてもらい、驚いたり「売るの?なんで?」という疑問をもったりしました。

みんなで凧揚げ

  8月28日は私の誕生日でしたが、「誕生日だよー!」とお母さんにいいまくり、うるさいって言われたり子猫をさわれなかったりして、怒っていました。ですが、「風が強いからたこあげをやろう!」とハープが誘ってくれたので、子供たちとたこあげをやり、すごく楽しかったです。多分今までで一番楽しかった誕生日だったかもしれません。その日の夜、停電が起きました。結構暗くて、扇風機が止まり暑かったです。でもちょっとワクワクして、面白かったです。
  
  9月1日は村から移動し、プノンペンに行く日でしたが、私はのんきにハープの家に遊びに行き、私があげたノートに計算の問題を出し合ったりしました。ですが、少しずつプノンペンに移動する時間がせまってきて、帰りたくないなと思うようになりました。帰る直前に、ハープと会って握手をしました。そしてタクシーに乗りました。村での生活は、貴重な体験でした。そのあと、プノンペンに戻りました。誕生日にごちそうが食べれなかったからと、お母さんはピザ屋に連れて行ってくれました。すごくおいしかったです。その次の日に、私たちは日本に帰国しました。
(終)

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3. 私のフィールドワーク
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サウジアラビアへのウムラ(小巡礼)後半 (5)
     吉崎亜由美(人文地理学/桐朋学園教諭/FENICS正会員)
 
前回は2024年12月30日にウムラ(小巡礼・訪問)のために出発して以来、メッカ駅に着いたところまでお話しました。
 
 2025年1月1日は、2度目のウムラを行いました。日の出前に、タクシーでメッカのミーカート(聖域に入るまえ、縫い目のない2枚の白布を身にまとうための場所)であるアイシャモスクに行きました。それから、カアバ(カーバ神殿)でタワーフ(カアバを反時計回りに7周すること)を行った後、サファーの丘でサァイー(早駆け)を行い(サファーとマルワの丘を7往復すること)、泉から湧き出る聖水、ザムザムの水を飲んで、床屋さんでタクスィール(男性は断髪し、女性は髪の一部を切る)を行いました。2回目のウムラであり、日の出後で辺りが明るくなってきたので、1度目には気づかなかったことが分かってきました。カアバはお正月も人でいっぱいでしたが、何とかマカーム・イブラヒーム(アブラハムのものだと信じられている足跡)に近づき、手を触れることができました。いつもきれいなカアバやサファーとマルワの丘の道は、外国人労働者が驚く程手際よく、きれいに清掃してくれているからだと気づきました。そして、グレーの迷彩服を着た男女の警察官が人々を誘導し、トラブルがないように指示していることも重要です。

 

カアバの入り口で、剃髪した夫と息子

 1月2日には3回目のウムラ、1月3日には4回目のウムラを行いました。実は、私の2回目は亡くなった夫の母の分のウムラ、3回目は亡くなった義姉の分のウムラ、4回目は亡くなった夫の祖母の分のウムラでした。夫や息子達も2~4回目は、亡くなった家族のウムラを行いました。2回目以降、息子達は頭痛がする、具合が悪いと言い出しました。メッカの冬は東京よりは暖かいのですが、巡礼衣にサンダルは確かに寒そうでしたが、何とか、家族全員が4回のウムラを行うことができました。1月3日には、高速鉄道でメディナに戻り、預言者モスク近くのホテルに滞在しました。1月4日は、預言者モスクやセブンモスクを訪れ、1月5日に香港経由で帰国しました。 


外国人清掃員と白いトーブ姿のアラブ人監督者


 

フードコートで朝食をとる外国人建設労働者                 

 実は、1月6日にメッカに大雨が降り、低地にあるカアバが水没しているというニュースが流れました。もし、天候が数日ずれていたら、私たちのウムラは実現しなかったことになります。そして、帰国する飛行機で具合が悪くなった夫が病院に行くと、インフルエンザに罹患していることが分かりました。ムスリムがよく使う言葉に、「アルハムドゥリッラー」(神に感謝する意)があります。本当に「アルハムドゥリッラー」、神のおかげで、私たち4人は4回のウムラを行うことができました。
 
 帰国後、夫は、「ハッジにいつ行きましょうか?」と尋ねてきます。私は、「今はまだ暑いし、休みがとれないでしょう?涼しくなってからね。」と答えています。さて、私たちのハッジは、「インシャーアッラー」(もし神が望んだならばの意)、いつになるのでしょうか?
(終)

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4. FENICS会員の活躍
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 理事の丹羽朋子さんがかかわる展示のお知らせです。今年はじめに川柳の会を開催した、昭和のくらし博物館にて戦争に関する展示が始まりました。ぜひお運びください。
 
「千人針、国民服、防毒マスク、女学生の日記。博物館となった小泉家には、戦禍を逃れて残されたわずかな戦争資料と共に、全国から寄贈された資料があります。
”小泉家”に代表される、それぞれの家庭に今も眠る戦争の記憶と傷跡から平和を考えます。」
 
会期: 2025年8月1日(金)~2026年3月29日(日)
会場:昭和のくらし博物館 本館1階茶の間と新館2階特別展示室
 
アクセス:〒146-0084 東京都大田区南久が原2-26-1 TEL 03-3750-1808
 
①東急池上線「久が原」駅より徒歩約8分
久が原駅より「久が原栄会通り」を抜け、「野津原医院」の左脇の小さな路地を抜けた右側の二軒目
 
②東急多摩川線「下丸子」駅より徒歩約8分
下丸子駅より「大田区民プラザ」の前を通り、環状八号線を左折、最初の信号を渡る。「ぬめり坂」を上り、三叉路(庚申塚)を左へ直進、「鵜の木特別出張所・鵜の木保育園」前を右折して路地に入った奥。
 
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以上です。お楽しみいただけましたか?
みなさまからの情報、企画、お待ちしています。
 
 
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