報告者:松岡由美子(東京外国語大学大学院)

サロンではまず、明治大学政治経済学部碇ゼミの大学生さんたちからのプレゼンテーションがありました。彼らは、「私たちはなぜ生理を隠すのか?-生理の経験についての文化人類学的研究」と題するゼミ論をみなさんで書き上げたばかりでした。このテーマに至ったきっかけは、大学のトイレに設置してある無料ナプキンを人の居るときに手に取りにくい、使っていないという会話からだそうです。52歳である私はまずこの発言に、自身との違いを強く感じました。私は大学に設置していただいている無料ナプキンをとても肯定的に捉えており、日々使用している20代の大学生さんたちをトイレ使用時に見ていましたし、自身も急に必要になったときにありがたく使わせていただいているからです。この違いは、世代だけが理由ではなさそうだぞ・・・と思いながら、彼らの発表に耳を傾け続けました。彼らの研究は、「フェムテック」のテレビCMが増加した理由を、それらCMには恥ずかしさがないということは、医学的に捉えているからだとしていました。医学的と言うことは生理を客観的に捉えているとし、一方女性は生理の不快感に、男性は痛みに着目していると主観的に捉え、この主観と客観の間で揺らぎながら生理を捉えていると結論づけていました。


 最近、私立男子中・高校にて6年間計画的に性教育を実施し、その一つにナプキンとタンポンを手に取り、経血に見立てた水溶液を含ませ重さを量り、使い方を学ぶことも最近新聞記事で読みました。記事を読み、最近変わって来たなあ~と嬉しく思いながらも、碇ゼミの学生さん達のリアルな「戸惑い」感を知り、そんなに簡単に誰もが「生理を語る」「生理を体験する」わけではないことを知りました。

 次に、「藤沢女性クリニックもんま」の門間美佳ドクターによるレクチャーです。日本における性教育を世界に位置付け、あまりにも日本の性教育が30年前で止まっている事への危機感、その大きな理由としての「はどめ規定」、UNESCOの包括的性教育についての紹介、人生で生理回数が多いと子宮内膜症になりやすく、その結果血栓やがんなどの原因になるなど、実に多くのことを学ぶことが出来ました。その中で、特に印象的だった内容は、2つあります。一つは、子どもの居るところには小児性愛者が居る。被害当時は、性被害に遭った事を自覚できないことが多い。だからこそ、望まない性的な扱われ方を子どもは学ぶべきだというお話です。これにはハッとしました。私は講師時代も含め、26年間高校で教員をしています。現在は休業し、大学院で研究しております。以前勤務校にて、盗撮癖があり逮捕された男子生徒をそのまま在学させるか、学校として処分するかという場を経験したことがあります。私は、門間先生のお話から、彼の将来の希望を聞いてぞっとしたことを思い出したのです。彼の希望は小学校教員でした。

 もう一つ印象に残ったのは、子宮頸がんワクチン接種率のお話です。ルワンダが世界一の接種率だそうです。私の研究地域がルワンダであり、かつ女性・女児への性暴力をテーマにしているため、研究をさらに進める意味で印象に残りました。

 ここで、少し私の経歴を整理しつつ、考えたことを書かせていただきます。文学部の西洋史学専攻を卒業後、社会科教員として縁もゆかりもない長崎県で12年間、平和学習の担当もしながら高校で勤務しました。故郷埼玉県に戻り、県立高校での勤務は10年、その間、長崎県で経験した平和学習への違和感(不全感)を抱えながら、積極的平和のためにどのような学びを生徒に提供できるかを探してきました。それは、あちこちの大学の科目等履修生として学び、セミナーに参加し、手探りで探してきた感です。現在縁あり、現在東京外国語大学の博士前期課程で、ルワンダの性暴力を研究しています。一見、性暴力と平和は無関係なようですが、誰もが安心して生活できる、地域、国は平和が実現できていると言えるのではないでしょうか。そしてその平和は、隣人との人間関係や、隣国との国際関係にも繋がっていると考えます。平和は、人権とは切っても切れない状態です。ですから、平和と、人権、そしてその人権を踏みにじる性暴力はとても、関係性としては強いものです。

県立高校は変化が遅く、変化を避ける傾向がある場です。「前例に習う」ことが「善い/好い」こととされる価値観です。これは、県が変わっても同じでした。ですから、性教育は未だに保健体育科の教員が保健の授業中に、生殖の仕組み、性器の仕組み、性感染症の種類、受精から胎児の育つ過程を3時間ほど行う程度です。勤務校でも、無料ナプキンの提供は2021年に始まりましたが、保健室に取りに行くという方法を取っていました。その告知方法は、担任が朝の連絡時に伝えるのみ。結果は、誰も取りに来ないとのことでした。一方で、女性生徒の生理痛の重さ、月経前症候群で不登校になる女子生徒の増加で、私自身担任として何か出来ないか?でもどうして良いのかわからないという葛藤を抱えていました。女子高生に下半身を冷やすな、毛糸の腹巻きや厚手のタイツを履けと言っても、短い制服スカートに女子高校生としてのアイディンティティを求める彼女たちが聞き入れるわけがないことを、経験上知っていたからでもあります。今年大学院での学びのなかで、必修の授業にて女性クリニックのドクターによる性教育を初めて受けて、衝撃を覚えました。なぜなら、52歳の私が、自分の身体のことを何も知らないということを初めて知ったからです。
  
大学院に入学し、環境変化やストレスで一気に更年期障害のほぼ全ての症状が噴出しました。その必修の授業は、とても辛く理由なく気持ちが落ち込み1週間部屋で寝たきりになり、自分が自分でないようにも感じていた時に受けました。その授業後、婦人科を受診し、処方薬を使い、今は辛かったことがなかったかのように元気をとり戻すことが出来ています。この経験をし、いかに性教育が、自分が豊かに自分らしく生きることに必要かを実感しています。また、このセミナーでも発言がありましたが、50代は性教育をほとんど受けていない世代です。しかし知らないままでは、自身も辛い。そして、知らないと次の世代の人々が、自身の性や性の違いを知ろうとしていることを妨げかねないと考えています。セミナー内での「50代が頑張ろう」との発言通り、「今さら」ではなく、「今だから」まずは更年期障害を乗り切るために、そして子ども達を性被害から守るために、私たち世代が、自分の性、違う性を学ぶ必要を強く感じています。
  
私が大学院に進学して最も良かったことは、もやもやしていたことを相手に伝える「言葉」を得ることが出来たことです。職場で60代の男性同僚が「あ!こんなこと言ったらセクハラになっちゃうかあ~~~」と、独身20代女性同僚に投げかけているとき、異常なまでに自身がもてなかったことにコンプレックスを20年以上も持ち続ける40代男性既婚同僚が、もてる20代独身男性同僚に意地悪な物言いをしているとき、保健室に生理ナプキンを取りに来いと養護教諭から朝会で連絡があったとき、すべてモヤモヤしつつも、それが何なのか、何と相手に言ったら伝わるのか、言うべきか、黙っているべきか・・・という過去の自分の殻を破る「言葉」を得たのです。「言葉」を得たと言うことは、相手に自分の考えを伝える「道具」を得たと言うことであり、自身を守る「武器」を手に入れたと言うことです。これだけでも(いやいや修論を完成させなくてはいけませんが)大学院に進学した価値があるくらい破壊力抜群の武器です。そして、この武器や道具を、復職後、若い世代の高校生を守るために使えたらと考えています。

 そして、このようなサロンは、世代、性別、大学、立場の垣根を越え、学び合えるとても貴重な場だと実感しました。心地よい空間でもありました。今後、いかに女性以外の性の方々に参加を促すか、がキイになると確信しています。