FENICS メルマガ Vol.70 2020/5/25 
 
1.今月のFENICS
 
気づけば今号は70回目をむかえました。いつもご協力、ご支援をありがとうございます。
緊急事態宣言解除によるニュースから、どこか浮ついた空気を感じ、それに恐れ抱きます。みなさんの地域はいかがでしょうか。編集人はとにかく保育、小学校・大学教育、その他の業務を一度に在宅、の日々に自分自身を失いそうになっています。
他方で、落ち着いて家にいる時間ができた、とさまざまな活動が生まれているのも耳にすると、なんともいえぬ焦燥感にもかられます。この感覚はそう、出産後の「フィールドに行けない」焦燥感にも似ています。いまの状況は自分がコントロールできる時間ができた人と全くなくなった人の差が大きく、とりわけ子どもの在宅で「お母さんが大変」と繰り返すメディアのニュースからは、変わらぬ日本社会のジェンダー格差に愕然とします。とりわけアカデミズムで気になるのが、子持ちで求職中の女性たち。自分の業績をふやす、あらたな申請書や応募書類をかく時間は皆無と思われます。このコロナ禍によりジェンダー格差がじりじりと出てきそうであるのが憂えます。
今月、私自身もこのFENICS内のネットワークのなかで励ましをくださった方々に大分救われました。何かを共有しているネットワークのなかで恥じずに声をあげたら、誰かが何かしてくれるはず。
どうぞ、声をあげてください。
 
それでは本号の目次です。
 
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1 今月のFENICS
2 フィールドワーカーのおすすめ 連載(小森真樹)
3 子連れフィールドワーク 連載(椎野若菜)
4 FENICSイベント 文化人類学会/MOTOマガジン_オンライン番外編配信 
5 会員の活躍 (小西公大)     
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2.私のフィールドワーク
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コロナ禍のフィールドワークとアメリカのカーデモ (連載2)
 
小森真樹(武蔵大学 アメリカ研究、ミュージアム研究『フィールドノート古今東西』執筆者)
 
前回はコロナ禍で起こる自動車によるデモを紹介したが、アメリカのカーデモは実は半世紀も続いてきたものである。今回は、その歴史を解説して補足したい。
 
アメリカ合衆国のカーデモの歴史
アメリカにおけるカーデモの歴史は古く、1964年にはニューヨーク万博に反対する人々が、市内5つの高速を車で封鎖しようとした。世界の新たな中心地たるニューヨーク市の繁栄を謳う政治イベントの背後では、ゲットーの貧民が放置され、路上から排除された。万博の経済格差と人種差別の欺瞞を訴えた。大阪万博のように、1960年代のアメリカでも「ハンパク」が起こっていたのである(*1)。
カーデモの中でも、建設や農場などの特殊車輌で行うものを、「トラクターケード(tractorcade)」と呼ぶ。1979年には、農業生産者が下がる買取価格の歯止めを訴え、トラクターで首都ワシントンの大通りを封鎖した(*2)。

1979年ワシントンDCでのトラクターケード

ちなみにこの言葉、この年の一件だけを指す固有名詞ではない。用法も広く、2011年のウィスコンシン州マディソンのトラクターケードのように抗議行動のものもあれば、アイオワ州で25年続くもののように記念イベント化したものもある。コロナ期には、ミシガン州都のランシングでは建設業者によるトラクターケードが予定されている。工事車両、トラックやボートで出動して、建設労働者の疲弊をヴィジュアルで示すという。
  

突き上げた拳のシンボルマークを掲げるStand with Wisconsin

whoradio.iheart.com

自動車による社会運動
カーデモを広く「車を使った社会運動」と見れば、アメリカの文化的伝統に位置づけられるかもしれない。例えば、教会牧師の伝道にも自動車で各地を巡る方法がある。エホバの証人は、1870年代のピッツバーグでチャールズ・テイル・ラッセルが興した新宗教である。日本でも訪問宣教で知られるように、組織は彼の死後も世界へと拡大を続けており、積極的に非信者に宣教を行う。そこで、街宣車が信者ではない聴衆にも声を届ける有効な手段とされたのである。1948年には、その街宣への制限に関して違憲訴訟が行われて話題にもなった(*3)。
 
カーデモにも見られたような、公で声を上げる運動に車を使うのは、非常にアメリカらしい。国土の大部分を占める郊外や平野・山間部は、移動は自動車、一人一台の所有が一般的の所謂クルマ社会だ。文字通り自分の「城」としてトレーラーハウスに住む人々も少なくない(*4)。1950年代にはドライブインシアターや改造車など自動車文化が花開き、個人のアイデンティティと結びついた。同時に、自動車を生産販売するだけでなく、労働者の購買能力を高めることで消費社会的にその構造を整えたヘンリー・フォードが、アメリカン・ドリームの一翼をなし、「自動車」は国家的なアイデンティティともなった。
 
そして、異なる価値の共存を前提するアメリカ社会には、自分とは違う人々に広く声を届ける手段として街宣を行う習慣が根強い。公民権運動以降にはさらに多文化主義的な方向に社会は動いてきた。これらが結びついたものが、「自動車による社会運動」のように見える。現在増加しているカーデモは、このような文化的背景からもみることができる。
 
コロナ後の「フィールド」と「フィールドワーク」
現場へのアクセスが断たれフィールドとの隔たりに戸惑うなか、自分には何ができるのかを考え続けている。本稿で見たカーデモのように、路上=フィールドで起こる新しい試みに目をやるのも面白い。「フィールド=現場」それ自体の変化が避けられないなら、私たちの行う「フィールドワーク」もまた、それに適応するべきなのであろう。
 
*4:人口の6%にあたる二千万人ほどがトレーラーハウスに住む。実際に移動可能な車輌とは限らないが、柔軟な機動性を好む文化がある。https://www.bbc.com/news/magazine-24135022
 
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3.子連れフィールドワーク(連載)
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1歳児と二人でフィールドワークへ (3)    
 
 椎野若菜(東京外国語大学・社会人類学)
 
 今回の調査で嬉しかったのは、私が村落で住み込み調査をしていた頃にお世話になったひとつ違いの女性が、調査と家事の手助けをしに週末、ルオランドからナイロビまで来てくれたことである。私が初めて会った25年前は二人の幼子をもった高卒の母だったが、いまや小学校の教師。村では一緒に暮らした仲、何も言わずともやってくれ、また甘えてものを頼める安心感があった。ローカルチキンを調理してもらい、食に関心がなかった二男Lもスープを美味しくいただいた。スラム調査も彼女のつてで調査村からでてきている人を頼って訪ねることができ、村と都市、いまどきの若者の在り方の一端をより具体的に実感することができた。

村からきた旧友に料理してもらった身のしまったローカルチキンと主食のウガリ(トウモロコシの粉の練り粥)をいただく

1歳8か月は、スラム内でもどこでもチャンスがあればスタスタと歩いていく

 
また、別の調査地に居た頃に子どもだった青年に、調査の手伝いをしてもらえたこともうれしいことだった。アフリカの田舎ならどこでもそうだが、私は彼が小さいころから自分と体格のあまり変わらない妹や弟を抱っこ、おんぶしながら遊んでいるのをみていた。そうした経験をもつので、それなりに自然と子守はうまい。

 シッターさんの子どもと遊ばせる、というLのシッター作戦もうまくいきそうにないので、Lを連れてナイロビのスラム調査をすることになった。気の合う青年と、共同研究者の野口靖さんと出かける日々が始まった。Lは青年の住まいに、自分からのこのこ入りこむようになった。インタビューの最中に動きまわりそうになると青年があやしてくれるか、それに飽きると授乳せざるを得なかったが、やはり乳腺炎の激痛をこらえる必要があった。しかしフィールドに出るとその面白さにスイッチが入り、それが救いとなった。

 戸惑ったのは、夜どおし大雨が降ったあとのスラムに行ったときのこと。青年がアポイントをとってくれていたお宅までが、ちょっとした木々がしげる丘にのぼっていく道だった。遠くからみればスラムのなかのオアシスのような緑がしげるところも、実際にいくと人びとのゴミ捨て場になっており、しかも前夜の雨で幾筋もの怪しい色をした小川がちょろちょろと流れている。ぬかるみの中でも足をつけられそうな箇所をさがしてまたぎ、飛びつつ進む必要がある。ふだんならすっと飛び越えられる距離でも、12キロの眠ったLを抱っこ紐で抱きつつ、である。失敗したら、このあやしい色をした水のなかに子どももろとも落ちるのかとその場面がリアルに想像されると、より不安になりながら何度かホップステップ、ジャンプ!した。
 そんな私の心配をよそに、坂を上りつつインタビューのお宅につくと、昼寝からさめたLは、はりきって動き始めた。スラム内の6畳一間ほどのあるお宅に訪ねた際、敷いてあるマットレスに上り下りし高笑い、そのお宅の子どもに積極的にちょっかいをだし遊びをしかけだした。さらにインタビュー中、Lの横たわるマットレスに沿って小さなネズミがちょろちょろと行ったりきたりしているのをみて目が点・・になったが、これがスラムでの日常、である。

積極的に遊びをしかけるL

 こうしてスラム調査をしているうちに、日本にいる長男Jの通う小学校から頻繁にメールがくるようになった。コロナ感染がすすみ、小学校が休みになる、また学童の申し込み等々・・
 私たちは、予定どおりに3月8日に帰国。アフリカは、まだ感染者の報告がほとんどなくのどかだった。むしろ、スラムを歩いているとアジア人はめだつので「コロナ!」と叫ばれることがあった。
  
私は帰国した翌日に乳腺科へ。切る手術は避けられ、夫が入れ替わりに2週間の予定でウガンダへ。これが大変あまい判断であった。当時の感覚では、いつものとおり、計画どおりに事がすすむと信じていた。だが、夫はいまも閉鎖中のウガンダに足止め中、子どもたちはこのコロナ禍を直に体験することになった。
 
 
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4.FENICSイベント
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(1)『フィールドワークの安全対策』にちなんだ分科会を文化人類学会研究大会(オンライン)2020年5月30日(土)9:30~におこないます。
学会員の方は、ぜひともおいでください。(一般には残念ながらオープンではありません)
 
E1-E5 分科会 時流にあわせ「フィールドワーカーの安全対策」について考え備えるには(代表:椎野若菜)
 
杉江あい(名古屋大学)「イスラーム圏で女性が調査する困難:バングラデシュにおけるフィールドワークより」
 
松波康男(東京外国語大学)「紛争との遭遇:南スーダンの事例から考える大使館との付き合い方」
 
増田研(長崎大学)「安全対策から危機管理へ:長崎大学の危機管理対応マニュアルができるまで、できたあと」
 
内藤直樹(徳島大学)「フィールドワーク・リスク・保険:地方国立大学における海外渡航の危機管理をめぐって」
 
茅根創(東京大学)「大学におけるフィールドワークの安全管理:100 万人のフィールドワーカーシリーズ『フィールドワークの安全対策』より」
 
コメンテーター:飯嶋秀治(九州大学)
 
(2)MOTOマガジン_オンライン番外編配信_収録2020年5月6日 ​協力: NPO法人FENICS
すでにFENICSのウェブサイトには公開されていますが、画家の吉國元さんとのコラボトークイベント企画がzoomでなされました。
 
吉國元さんは日本在住のアフリカ出身の方々を取材する雑誌、MOTOマガジンの初号を2020年3月1日に発表。 
その後社会のあり方が徐々にじわじわと変わりました。日本の緊急事態宣言下の状況で、会えなくなってしまった、初号でインタビューしたアフリカ人の友人はどうしているのだろう?こういう時だからこそ話せること、気付けることを記録したい。日本在住のアフリカ人は、新型コロナのアフリカと日本の状況を、どうみているのだろう。実生活のある日本社会で感じている変化、また遠くにいる家族や社会について、信仰と故郷について・・・・話したい、気持ちを聞きたい衝動にかられ、人類学者の椎野若菜も参加し、お話をうかがいました。
急遽発表のオンライン番外編となります。
 
スピーカー:バ·アブ (日本在住、セネガル出身の友人)、椎野若菜(社会人類学者、NPO法人FENICS代表)、吉國元(ジンバブウェ出身、美術家)
 
 
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5.FENICS会員の活躍
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FENICS内には音楽、写真、絵、映像を専門とされている方…アーティストがいらっしゃいます。
研究者をはじめとする各界の専門家とアーティストのコラボ、もFENICSの活動の活動源です。発表の場が限られてきたなか、どのように協力しあえるか?あたらしいものがつくれるか?
FENICSでもとりくんでいきたいテーマです。
まずは、FENICS理事でもある小西さんの始めた活動をご紹介します。
 
小西公大(文化人類学・東京学芸大)
 
コロナの影響化、膨大な損失を受け続けている音楽をめぐる産業や教育。今現場で何が起きているのか?新しい音楽受容に向けた最新の方法論と技術は?デジタルコンテンツとして、双方向性を備えた新たな音楽消費の方法も次々と生み出されようとしています。このような状況を少しでも多くの人と共有し、自身も勉強したいと考えて、FBグループを作成しました。ぜひ下記リンクからご覧いただければと思います。
 
ポスト・コロナにおける音楽について考えるグループ
 
 
 
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以上です。お楽しみいただけましたか?
アーティストの方々からの、コラボ企画もちこみ、大歓迎です。
みなさまからの情報、お待ちしています。
 
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メルマガ担当 椎野(編集長)・澤柿
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