1.今月のFENICS
猛暑のなか、地震・津波の被害にあわれた方々、お見舞い申し上げます。日本にいて、人災、天災ともに、もはや、安心・安全の程度は著しく低下したと感じさせられます。ですが、人間の繰り返すあやまちについては、繰り返し、それにNOを言い続ける人間が必要です。参院選もありましたが、教員の立場におられる方は、学生さんたちと日本の政治を、選挙について、共に考える時間をもたれたでしょうか。自らの日常生活と政治のつながり、自らの日常と未来へのつながり、そして一票の重さ、その一票をどう使うかの判断の仕方。これも日常にフィールドワークはある、という思考で自らの回りをみまわし、各政党の主張や活動も調査していく・・・という手ほどきを共にすることが重要だと改めて編集人も感じたところです。
この夏は戦後80年。みなさんはそれぞれ、日本の戦後80年を未来にむかって、どうアクションなさいますか?下記に案内しますが、「くらしと制度をつなぐ会」として神奈川県川崎市で活動してきた正会員の椎野和枝さん(91)を中心に、有志で8月6日と9日に新百合ヶ丘駅OPA前で夕方に「いまこそ核兵器のない世界を子どもたちのために」のスタンディングを行います。2008年来つづく夏の活動です。ぜひいらしてください。
それでは、本号の目次です。
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1 今月のFENICS
2 私のフィールドワーク④(山本貴仁)
3 私のフィールドワーク③(吉崎亜由美)
4 FENICSイベントリポート (齋藤紬)
5 FENICS会員の活躍 (椎野和枝)
5 FENICS会員の活躍 (椎野和枝)
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2. 私のフィールドワーク④
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ガーナのチーフ制の小噺
山本貴仁(東京外国語大学/ガーナ大学 学部生)
みなさんこんにちは!
昨年8月より、東京外国語大学からガーナ大学に留学中の山本貴仁です。
大学の授業の傍ら、ガーナ中部の農村で日本のNGOのインターンや、フィールドワークを行っています。
今回はガーナの伝統的な権威、すなわちチーフ制についてご紹介します。チーフはガーナでの私の研究対象でもあり、NGOの活動のパートナーでもあります。ガーナに多少なりとも住んだことのある人であれば、お祭りやお葬式、式典など、どんな行事においても伝統的な衣装を着用して、立派な椅子に座っている人を見たことがあるでしょう。公的な場面では、チーフは必ず装飾が施された傘の下にいるため、そこからも誰がチーフか判断することができます。

写真1 ガーナ大学の式典に参列していたチーフ
チーフの定義は幅広く、「国王」と呼ばれる頂点のチーフもいれば、ある小地域を治めるチーフ、チーフの傘を差す人やチーフの料理番までチーフと言われるようです。古くからチーフ制が根付いているアシャンティ州では、チーフの定義が広いことから、自身を「ロイヤルファミリー」と位置付ける人も少なくありません。チーフは、地域の管理者として領内の人々の安全確保や土地の管理、紛争の調停、社会開発事業の推進、文化の保全など幅広い役割を担っています。私が滞在している地域の文化では、40日に一度チーフたちが集まり、地域の課題を話し合っています。
私が従事している職業訓練校の建設・運営事業もチーフ制と深く関わっています。学校の土地は、チーフからリース契約で借用しており、学校運営の重要な事項は常にチーフと話し合って決定します。チーフがコミュニティを代表して開発事業を行っているのです。もちろん、近代的な国家機構としての地方自治体の首長も併存していますが、開発事業を主導するのは、あくまでもチーフの仕事と言えます。

写真2 チーフから提供された土地で職業訓練校の建設が進む
ガーナに来て、まもなく1年。たくさんの興味深い事象に遭遇し、その度に研究テーマが迷走してきました。ようやく、チーフ制を中心としたローカルガバナンスと地域開発の関係というところに落ち着き、さまざまなアクターにインタビューをしています。初めてのフィールドワークで得られている迷走、試行錯誤、閃き、そしてまた迷走。これらの感覚を忘れずに心に刻んでおきたいと思います。目の前に広がっている新鮮な世界から自分の関心を切り取ることは意外と難しいことだなとも感じました。

写真3 40日に一度の会議の様子(会議に参加するためビール2ダースと蒸留酒を献上)
チーフに謁見する際は、毎回ワインなどアルコールを手土産に持っていかなければならず、出費がかさみますのでお気をつけください(笑)
(つづく)
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3. 私のフィールドワーク
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サウジアラビアへのウムラ(小巡礼)後半
吉崎亜由美(人文地理学/桐朋学園教諭/FENICS正会員)
前回、2024年12月30日にウムラ(小巡礼・訪問)のために出発し、メディナ駅を高速鉄道にて発ったところまでお話しました。
14:50にメッカ駅に到着しました。駅からタクシーに乗り、ホテルに行きました。メディナと比べると、メッカのホテルは古く、あまりきれいではありません。ホテルで少し休憩してから、カーバ神殿(カアバ)に行くことにしました。ホテルから歩いてすぐの場所にカアバはあるのですが、道中、歩道に布を敷いて物を売る人もいて、人でごった返し、前に進むのも一苦労です。

カアバに入ると、さらに人は増えたので、マグリブ(日没後)の礼拝をして、一旦ホテルに戻り、明朝、もう1度行くことにしました。夜中の2時にもう1度カアバに行くと、人で混雑しています。初めてカアバを目にし、感動したのもつかの間、たくさんの人の波に巻き込まれながら、ウムラのタワーフが始まりました。タワーフとは、カアバを反時計回りに7周することです。タワーフの後に、マカーム・イブラヒーム(イブラヒームがよく礼拝をしていた場所)の後ろに立って2ラカートの礼拝(礼拝をする際に行う8段階の動作を「ラカート(=1セット)」と言う)を行うのですが、人が多くて近づけなかったので、少し離れた場所で礼拝をしました。

次に、サファーに行き、サファーとマルワの丘を7往復するサァイー(早駆け)を行います。サァイーは、イブラヒームの妻ハージャルが、赤ちゃんのイスマイールを抱きかかえて、砂漠の中にあるサファーとマルワの丘を何度も行き来したという故事に基づいています。力尽きたハージャルがイスマイールを地面に置くと、そこからザムザムの水が湧き出たといいます。このザムザムの水により、オアシスの町メッカが誕生しました。ザムザムの水は、カアバの至る所で飲むことができます。タワーフとサァイーの後は、男性は断髪し、女性は髪の一部を切るというタクスィールを行います。全てが終わると朝になっていたので、朝食を食べました。ウムラの後は、タクシーに乗り、ハッジの1日目と3~5日目に宿泊するミナーや2日目の日没まで過ごすアラファの丘を見学しました。

カアバでタワーフを行う巡礼者
カアバに入ると、さらに人は増えたので、マグリブ(日没後)の礼拝をして、一旦ホテルに戻り、明朝、もう1度行くことにしました。夜中の2時にもう1度カアバに行くと、人で混雑しています。初めてカアバを目にし、感動したのもつかの間、たくさんの人の波に巻き込まれながら、ウムラのタワーフが始まりました。タワーフとは、カアバを反時計回りに7周することです。タワーフの後に、マカーム・イブラヒーム(イブラヒームがよく礼拝をしていた場所)の後ろに立って2ラカートの礼拝(礼拝をする際に行う8段階の動作を「ラカート(=1セット)」と言う)を行うのですが、人が多くて近づけなかったので、少し離れた場所で礼拝をしました。

サファーとマルワの丘でサァイーを行う巡礼者

ハッジ2日目には巡礼者であふれるアラファの丘

メッカ郊外のミーカート、アイシャモスク
次に、サファーに行き、サファーとマルワの丘を7往復するサァイー(早駆け)を行います。サァイーは、イブラヒームの妻ハージャルが、赤ちゃんのイスマイールを抱きかかえて、砂漠の中にあるサファーとマルワの丘を何度も行き来したという故事に基づいています。力尽きたハージャルがイスマイールを地面に置くと、そこからザムザムの水が湧き出たといいます。このザムザムの水により、オアシスの町メッカが誕生しました。ザムザムの水は、カアバの至る所で飲むことができます。タワーフとサァイーの後は、男性は断髪し、女性は髪の一部を切るというタクスィールを行います。全てが終わると朝になっていたので、朝食を食べました。ウムラの後は、タクシーに乗り、ハッジの1日目と3~5日目に宿泊するミナーや2日目の日没まで過ごすアラファの丘を見学しました。
つづく
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4. FENICSイベントリポート
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★イベントリポート(齋藤紬)★「なぜあのとき就職しなかったのか―進路・研究・キャリア・男女参画の視点から」(2025年7月15日開催)
齋藤紬 (東京外国語大学 国際社会学部3年)
2025年7月15日、東京外国語大学学部3年生の企画発案で、NPO法人 FENICSによって、イベント「なぜあのとき就職しなかったのか―進路・研究・キャリア・男女参画の視点から」が開催されました。会場を東京外国語大学フィールドサイエンスコモンズ(TUFiSCo)の協力を得てアジア・アフリカ言語文化研究所のコモンズ・ラボ(405)にて開催し、東京外国語大学グローバル・キャリア・センター(GCC)、東京外国語大学男女共同参画推進部会の後援をいただきました。
<イベント概要>
今回の企画は、わたしが単純に「大学院に進学するってどういうことなんだろう?アカデミアの男女差ってどうなっているんだろう?知りたい!」と思い立ったところから始まり、同様のイベント開催の経験をお持ちの椎野先生にお会いし、お話を聞かせてくださる先生方にお声をかけて、というかたちで開催に至りました。当初は、今学期からフェミニズム政治理論を勉強し始めたこともあり、「アカデミアにおいて女性が研究することの大変さ」みたいなものをお聞かせ願おうと思っていたのですが、そのような枠でくくらずに先生方一人一人の経験から学べることがあると思い、より個人的な経歴にフォーカスしていただき、ここでしか得られない情報が盛りだくさんのお話を聞かせていただきました。
<それぞれの先生方からのお話で心に残ったこと>
まず、フィールドワーカーである椎野先生のお話の中では、お子さんがいらっしゃるなかでフィールドでの研究を進められたという点が印象に残っています。子供がいると制限や大変さというのは確かにつきものだが、その状況にはその状況なりに新たに発見できることがある、というふうにおっしゃられていました。母親として予想外の関係に巡り合うといった、困難のなかにもチャンスを見出す視点を学びました。また、椎野先生は全体的にとてもパワフルな方で、「20代の頃の気力や体力にはすごいものがある」「私の研究は私しかできないという強い気持ちが大事」といったお言葉を聞いて、やはり20代のうちに様々なことに挑戦し、自分の気持ちが向くものに正直であろうと思いました。さらに、「先例のないことは積極的に聞きに行こうと思った、すべてがフィールドだ」というお言葉は、私が今回やりたかったことをそのまま表現してくださっていました。
そして對馬先生からは、介護福祉士と社会福祉士の資格を取得されてから修士・博士と進んだということをお聞きし、自分がやりたいことをやり続けるためにはそのような堅実さや計画性も必要なのだなというふうに思いました。對馬先生は、ご自身の興味に従って柔軟な進路を選択されてきており、それが可能だったのも最初に資格を取得されていたことが一因としてあったのだと知りました。アーレントのお弟子さんに会いに行かれたというお話を聞いたときには、その行動力と熱意に驚かされました。また博士論文を出すのにやや長い年数がかかったというお話の中で、「プライドを脇において、他の人に聞く」ということの大切さをお話されていた時は、本当にその通りだと共感しましたし、年間の作業数を記録されてご自身の進歩を可視化していたという点も、とても良い方法だと思い、大変ためになりました。
最後に二井先生ですが、経歴をお話してくださった際の、「客体化された存在になりたくなかった」というパワーワードが表すように、ご自身の進むべき道・なりたい姿を明確に意識されてこられたような点が印象的でした。また、研究会における男女比にも言及してくださり、アカデミアにおける男女共同参画というイベント発案当初に知りたかった点についても示唆を得ることができました。さらに、大学院での修業の傍ら、・・・・
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5. FENICS会員の活躍
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正会員の椎野和枝さんが企画したイベントです。FENICS理事の椎野若菜も共に活動します。
小田急線、新百合ヶ丘駅南口のOPA前にて原爆の投下されたヒロシマ・ナガサキの日(8月6日と9日)に、下記のように夕方にスタンディングを行います。
戦後80年を迎えた今年。一時間強ほど、当時のヒロシマとナガサキにいた人びとに、共に思いをはせませんか。スタンディング「いまこそ核兵器のない世界を子どもたちのために」
日時:2025年8月6日と8月9日 18:00-19:30
場所:小田急線 新百合ヶ丘駅南口 OPA(オーパ)前
朗読劇『この子たちの夏―1945・ヒロシマ ナガサキ』(木村光一構成)を共に読んで、
被爆の当時を思い、想像しながらこの両日を過ごしたいと思います。
◆朗読劇『この子たちの夏―1945・ヒロシマ ナガサキ』について
木村光一氏がヒロシマ・ナガサキの原爆投下によって被爆した人びとの遺稿や手記、詩歌など多くの資料の中から、テーマを「母と子」に絞り朗読劇としてまとめた、朗読劇『この子たちの夏―1945・ヒロシマ ナガサキ』。1985年に木村が主宰の演劇制作体地人会にて初演され、その後地人会新社に受け継がれた。それ以来、日本全国で上演されてきた。2021年からは共催という形で、当脚本をもとにさまざまな団体によって上演されている。
昨年2024年のノーベル平和賞は、日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)が受賞しました。日本被団協の方々はノーベル平和賞を受賞後、講演活動が続いているようです。受賞式に同行した高校生平和大使の高校生たちも活動を続けています。核保有国が核兵器使用の可能性すら、ちらつかせるようになっているいま、私たちひとりずつの日常生活が、どのように変貌するのかを具体的に描いてみよう。私たちが、それぞれの場でできることは何なのでしょうか。
連絡先:椎野和枝 shinyuripeace2008[at]gmail.com atを@にしてください。
主催:2008年から新百合ヶ丘でスタンディングを続ける仲間たち
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以上です。お楽しみいただけましたか?
みなさまからの情報、企画、お待ちしています。
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