FENICS メルマガ Vol.48 2018/7/25  
 
 
1.今月のFENICS    
 
 酷暑が続きます。西日本にいらっしゃる方々、被災された方々、その後いかがでしょうか。酷暑のなかの復興作業、毎日の報道に心が痛みます。FENICSにできそうなことがありましたらお声かけください。
 災害が多くなり、また被災のさなか重要な法案が通されたり、この日本の現状、海外のフィールドばかりに心を占めてもいられない状況になっている気がします。
 8月初旬には8・6、8・9もやってきます。歴史もふまえながら、くらし、環境、フィールド、外との関係性、それぞれの立場から考えていきたいです。
 関連記事は下記にあります。
 中川千草さんによる子連れフィールドワークの連載(今回で完結)もお楽しみください。
 
それでは本号の目次です。
 
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1.今月のFENICS
2.私のフィールドワーク(椎野若菜)
3.子連れフィールドワーク(中川千草)
4.FENICSイベント
5.FENICS会員の活躍(吉國元)
          (堀場清子)
         
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2.私のフィールドワーク
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ライフイベントというフィールド

椎野若菜(社会人類学)

私事ながら先月、6月6日に第二子を出産した。第一子が生まれるとき緊急の帝王切開になったので、今回は初めから帝王切開の予定だった。奇妙なのは親が子の誕生日を決めてしまうということだ。医者より5月30日か6月6日、どちらかを選んでくださいと言われたが、月を隔てるので若干考えてしまった。5月生まれか6月生まれかーー私自身は生まれる予定が4月2日だったところ、3月28日生まれとなったので、その数日差で生れ月が変わるどころか、就学年が変わってしまった。これは人生の歩み方にすら関係してくるので、それを自覚したときは変な気持ちになったものだ。今回の私は、といえば産前休暇はとらず仕事をしていたので、仕事があるからという理由で、6月を出産予定日にした。
 
5年ぶりの出産で、前回のことを思い出しつつもその日を迎えるまで、全く余裕のない日々だった。第二子ワールドへの道は、この出産前から本格的に始まる。自分が出産後、しばらく仕事ができなくなる焦りを抱えつつ仕事のひきつぎ、また家を空ける間の買い置きや第一子の送り迎えの手配、出産後に第一子を一時保育で預ける手続き、手伝いに来てくれる母や姉への日常生活の連絡事項の準備をする――こうした作業はエンドレスだ。入院日を迎えるまでひどく睡眠不足だったので、看護師が、緊張して眠れませんでしたか?と朝聞くのに「久しぶりによく寝ました」と答えた。そして手術1時間前まで、Eメール対応で日常をひきずった。だがこの何か月かずっと聞いてきたベビーの心音を聞き納めに録音し、心の準備をした。
 
産婦人科の病棟とは、独特の世界である。第一子を出産したときは4人の相部屋で、帝王切開の傷跡が痛んで母になりたての女性がカーテン越しの隣で夜通ししくしく泣くがもよく聞こえた。また我が子可愛さに、何度も何度も写真をとっているシャッター音が聞こえた。何よりも興味深かったのは、夜中の1時、2時、3時、世間は静まり返っているときに、ベビーの腹時計にあわせて母になりたての女性たちが、点滴の台をゴロゴロ引いてあちらこちらの病室からこうこうと蛍光灯が照る授乳室に集まってくる光景だ。世の中の活動サイクルとは全く別の時計で事が動いている。今回の病院は、基本は母子同室だったが、朝はベビーの沐浴や状態チェックのために新生児室へ預けにいく。お昼まえに母たちが授乳のため、ベビーの受け取りに集まっていく。すると、ベビーたち一同がお腹がすいて泣いている合唱に出くわす。これもしっかり録音した。
 
ベビーとともに退院してからの日常が始まりひとつき半。ベビーの泣き声や表現の声も変わっていくので時折録音する。ウガンダ人の夫の毎日の朝の日課は、母乳によいとシコクビエのポリッジを作ることだ。カルシウムも、鉄もビタミンも入っていて、授乳中の人は飲むものである!と力説。なるほど、パッケージにも栄養のよさがうたわれている。牛乳、砂糖もいれるので私が調査村のフィールドで飲んでいたものより、はるかにおいしい。夏は冷たいポリッジもなかなかいける。この夏はアフリカのフィールドにはいけないが、自宅でのフィールドを楽しむ?ことにしよう。第一子は生まれてすぐ毎年、親のフィールドに連れていかれていたが、今年初めて、5歳になって日本の夏を経験する。

 

注意書きも興味深い


 



PS 主治医の女性の先生に健診時より『女も男もフィールドへ』をお渡ししたら、一気に読んだ、とのことで他の女医さん、看護師さんらの手に渡り、入院すると多くの方に「読みました」「フィールドワーカーすごいですね」「前は乳腺炎で大変でしたね」などと声がかかった。

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3.子連れフィールドワーク(連載)
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子連れフィールドワークの道 −乳児(8か月)・パリ編−第3回
                   中川千草(12巻『女も男もフィールドへ』執筆者・龍谷大学)
 

慣れないアフリカ式おんぶで号泣する子

パリで初の子連れフィールドワークがまだ計画すらされていなかった、出産前、「現地にに行けば、子守りを頼める友人・知人はたくさんいるから大丈夫」とどこか楽観的だった。しかし実は、今回のフィールドワークに出かけるまで、他人に子どもを長時間預けたことがなかった。その状態で、子連れフィールドワークをスタートし、現地で友人が子守りを申し出てくれたとき、どうしたか。断った。即断だった。迷いすらなかった。遠慮ではない。子どもを「マイ育児ルール」から外れた状態に置くということに不安を覚えたからだ。

たとえば、食事面。離乳食を始めて2ヶ月の段階では、口にしたことがないものもたくさんある。預けている間に、はじめての食材を口にし、アレルギー反応が出たらどうする?それが重篤なものだったら?さらに、「虫歯菌」の心配もある。それをいちいち説明するのか。細々と注文をつけるぐらいなら、それらを把握している夫に見てもらう方がいい。郷に行っては郷に従え、出たとこ勝負、わたし自身はそんな風に生きていたけれど、子どものこととなると、そうはいかないようだ。

さて、この確固たるマイルールは、親も子も少しでも快適に生活できるようにと、生後から積み重ねてきたものだが、そのほぼ全てが、「日本風子育て」に基づいている。当然のことながら、習慣や価値観が異なる地域では、わたしたち親が子守りしていても、それを維持することは簡単ではない。

スーパーでベビーフードを買おうとすると、そのほとんどにオイルやハーブなど、与えたことのない食材が入っている。コリアンダーなど、わたしは大人になるまで口にしたことがなかったのに!少量とはいえ、フランスでは0歳児から摂取しているのか!肌を清潔に保つためにと推奨される毎日の入浴も、軟水の日本だからこその話。硬水のフランスでは大人ですらシャワー後には、肌や髪の毛の乾燥に悩まされ、毎日洗髪する方がめずらしい。「この子は乳児とは思えないほど潤っています」と医者に言われたほど、乾燥知らずだった子どもの肌に白い粉が吹き出した。バスタブのない冷え切った浴室とぬるいシャワー・・・虐待を疑われるほど激しく泣かれた。親も子もストレルフルなシャワーなど、2〜3日に1回でいい。

最後まで躊躇したことは、室内の土足問題。借りていたアパルトマンの室内は当然土足で入る仕様になっている。わたしたちが室内履きを用意したところで、これまでの蓄積がある。パリは決して清潔な街でない。この床で、ずり這いをさせられるのか?
子守りを友人に頼むということは最後までできなかったが、マイルール made in Japanを大幅に変更し、カフェの片隅でオムツ替えすることも、土足OKの床に座らせることも。寝転がられることも平気になった。
さて、2回目の子連れフィールドワークが近づいてきた。保育園で揉まれながら1歳を迎え、出発の頃には歩き出しているだろう。今回も気づきや発見を記録し、子連れフィールドワークをフィールドワークしたい。
 
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4.FENICSイベント
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今年12月のFENICSのイベントは、昨年に出版された『マスメディアとフィールドワーカー』の出版記念となります。
 
「ジャーナリストとフィールドワーカー(仮称)」
 
開催日時 12月1日午後,13:30~17:30
開催場所武蔵野公会堂(吉祥寺駅から徒歩5分)
 
子供向けの部屋も確保してあります。どうかご予定、あけておいてください!
 
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5.FENICS会員の活躍
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(1)吉國元さん(画家)からのお知らせです。
 
この展示は、生まれ育った場所であるジンバブウェ、そして作家にとって異国とも言うべき日本で、アフリカ人の絵を描き続けながら活動し、二人展、グループ展などで作品を発表してきた吉國元が、ジンバブウェの首都ハラレでの経験にフォーカスしつつ、改めて「『記録』として絵を描くということは可能なのだろうか?そもそもアフリカ人を描くことは、本当に可能なのだろうか?」と問いながら描いた絵画やドローイングで構成される、初の個展になります。
 
吉國元個展『アフリカ都市経験:1981年植民地期以降のジンバブウェ・ハラレの物語』
2018年8月4日(土), 5日(日), 11日(土), 12日(日)
 
OPEN: 13:00-19:00 入場無料
トークイベント「アフリカの身体、それを描く事について」ゲスト: 美術史家クリスティン・アイーン 8月5日15:00-17:00
レセプション  8月5日17:00- 
※イベント、レセプションは入場料500円(ドリンク付き)
ぜひお運びください。
 
(2)堀場清子さん著『南を考える 伝えられなかったヒロシマ・ナガサキ』15号(明治学院大学国際平和研究所) 椎野若菜
 
縁あって、詩人の堀場清子さんより8.6にちなんで『南を考える 伝えられなかったヒロシマ・ナガサキ』15号(明治学院大学国際平和研究所)のご紹介を受けました。原爆が投下されたとき、堀場さんは14歳、爆心地から9キロ離れたおじいさんの医院で被害者の治療手伝いにあたり、二次放射線を浴びのちに被爆者認定も受けられているそうです。
その経験談は原爆について、戦争について、これまでと違った角度から考えさせられる語りです。堀場さんは1980年代、米国に眠る占領下の検閲資料を調べ、95年に2冊の本を出版。本冊子では、その研究をふまえ日本敗戦から占領軍が到着するまでの間、日本の報道機関が被爆直後の凄惨な写真を世界に発信できなかったと指摘、自身の手記という形で当時の様子を伝えています。
 
今回の西日本での水害の恐ろしさと、下記の記述がより現実的なものとなって理解されます。
 
 「9月17日、のちに「枕崎台風」と呼ばれる猛烈な暴風雨が襲って、半壊の家々を倒し、山津波が大野陸軍病院もろとも、京都帝国大学の原子爆弾災害総合研究調査班を呑み、洪水は焼跡も農村地帯もひとつづきの大湖水に化して、温品村に疎開した中国新聞社のたった一台の輪転機を水浸しとし、河原で焼かれた骨々や灰までを、残留放射能とともに一挙に海へと押し流したのだった。占領軍は、その後で放射能を測定し、それをもって被爆線量とした」
 
 ご関心ある方は、こちらから。英訳もあります。8.6の時期にちなんでご活用ください。
 
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以上です。お知らせ、いつでもご連絡ください。発信、掲載いたします。
FENICSと共催・協力イベントをご企画いただける場合、いつでもご連絡ください。
 
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メルマガ担当 椎野(編集長)・澤柿
FENICSウェブサイト:https://fenics.jpn.org/​

寄稿者紹介

環境社会学 at 龍谷大学
社会人類学 at 東京外国語大学 |

FENICS代表