FENICS メルマガ Vol.90 2022/1/25
1.今月のFENICS
2022年、初めてのメルマガ、記念すべき90号を迎えました。今年も、FENICSを何卒よろしくお願いいたします。みなさまもこのFENICSの「場」を使って次なる可能性を作りだしていただきたいと願っております。気軽にご希望をお声をおきかせください。
新年初の今号は、新進気鋭のフィールドワーカー、博論執筆中の多良竜太郎さん、また昨年にVOCA展品、グループ展、個展とアクティブに展覧会を実施した画家・吉國元さん、のお二人からのエッセイをいただきました。
限られた環境でポジティブにどう、活動するか。さまざまな活動の成果が、じりじりと見えてきました。まだまだ、糸口がみつからない方も多いかと思います。「コロナ禍を生きる同世代の他の研究者がどうしているかも気になる」という声も届いています。もともとマニュアルのないフィールドワーク。さまざまな形のフィールドワークと表現の方法、引き続き今年も考えていきたいです。イベント開催希望、どうぞお寄せください。
年末年始から、また新型コロナの感染状況がみるみるうちに変わってしまいました。我が家、いま3歳児を在宅保育状況です。Emailの挨拶も、「ご無事で」が慣用となってきました。
それでは本号の目次です。
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1 今月のFENICS
2 フィールドワークが広がる<連載>(多良竜太郎)
3 私のフィールドワーク<連載・前>(吉國元)
4 FENICSからのお知らせ
5 FENICS会員に関するニュース
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2.フィールドワークが広がる<連載>
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日本とアフリカで木炭生産の現場を探る(その1)紀州備長炭とエネルギー問題
多良竜太郎(京都大学、生態人類学)
私は、タンザニアの木炭の生産・利用の実態と炭焼きが山林の生態環境に与える影響を明らかにするために、2015年から現地の農村で断続的にフィールドワークをおこなってきた。タンザニアにおいて木炭は調理用燃料として広く使われ、人びとの生活に欠かせない存在である。
コロナが世界中で猛威を振るうなか、調査地へ渡航できない日々が長く続いている。私自身、2020年3月にタンザニアから帰国して以来、現地へ未だに戻れていない。ただし、幸いなことに私の研究対象の炭焼きは日本でもおこなわれていて、タンザニアのものと比較することができる。製炭方法に関して、タンザニアでは木材を草と土で覆って炭化する「伏せ焼き法」が広く使われるいっぽう、日本では石や粘土製の窯を使った「築窯製炭法」が一般的である。茶道文化の影響で良質の木炭が求められてきたことから、日本の炭焼き技術は世界でもっとも優れたものとして確立されてきた。
そこで、私は2021年の2〜3月にかけて大阪府豊能郡能勢町に滞在しながら、全国的に有名な茶の湯炭「能勢菊炭」を生産する菊炭師・小谷義隆氏のもとで、一連の炭焼き作業に参加させていただいた。小谷氏の炭焼きをつぶさに観察したところ、タンザニアの原初的とされる伏せ焼き法にも、長年の歴史のなかで洗練されてきた日本の製炭技術に通じる、繊細で奥深い知識と技術が内包されていることがわかってきた。これに関しては別の機会に詳しく紹介したい。
そこで、私は2021年の2〜3月にかけて大阪府豊能郡能勢町に滞在しながら、全国的に有名な茶の湯炭「能勢菊炭」を生産する菊炭師・小谷義隆氏のもとで、一連の炭焼き作業に参加させていただいた。小谷氏の炭焼きをつぶさに観察したところ、タンザニアの原初的とされる伏せ焼き法にも、長年の歴史のなかで洗練されてきた日本の製炭技術に通じる、繊細で奥深い知識と技術が内包されていることがわかってきた。これに関しては別の機会に詳しく紹介したい。
- エブリという道具を使って備長炭の窯出しに挑戦する筆者(後ろに並んでいるのはウバメガシの炭材である)
ところで、私は初対面の方にタンザニアで炭焼きの研究をしていると話すと、「なぜ木炭に関心をもつようになったの?」といつも決まった質問をされる。日常生活で木炭を使う機会がほとんどなかった私が木炭に関心をもつようになったのは、大学生のときの出来事がきっかけとなった。
一つは、大学入試の前日に起きた東日本大震災である。玄海原子力発電所のある佐賀県で育った私は、福島第一原発の事故をきっかけにエネルギー(とくに再生可能エネルギー)について意識するようになった(ただし、このときに木炭=再生可能エネルギーと強く意識していたというわけではない)。
もう一つは、日本の農山村地域や農業経済について学ぶゼミに所属して、和歌山県南部における紀州備長炭生産とその今日的課題を研究テーマに、フィールドワークから得たデータをもとに卒業論文にまとめたことである。
一つは、大学入試の前日に起きた東日本大震災である。玄海原子力発電所のある佐賀県で育った私は、福島第一原発の事故をきっかけにエネルギー(とくに再生可能エネルギー)について意識するようになった(ただし、このときに木炭=再生可能エネルギーと強く意識していたというわけではない)。
もう一つは、日本の農山村地域や農業経済について学ぶゼミに所属して、和歌山県南部における紀州備長炭生産とその今日的課題を研究テーマに、フィールドワークから得たデータをもとに卒業論文にまとめたことである。
ブナ科のウバメガシ(Quercus phillyraeoides)を原料とする紀州備長炭は、鋸で切れないほど硬い。火付きこそはよくないが、一度着火すると途中で消えず、うちわ一つで絶妙に温度を調整できる特徴がある。そのため、料亭でうなぎの蒲焼きや焼き鳥を調理する燃料として重宝される。また、紀州備長炭の歴史は長く、かつて紀州藩が備長炭を重要産物として扱い、江戸へ送って現金収入を得ていた。生産者たちは古から炭材に適した太さのウバメガシのみを選択的に伐採(択伐)し、樹木に再生する暇を与え、生長した樹木を再び伐採する作業をくり返しながら、備長炭を作り続けてきた。つまり、紀州備長炭の持続的な生産体制は彼らによって確立されてきたのである。
(つづく)
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3.私のフィールドワーク
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「ホーム(故郷)について」(前)
吉國元(画家)
⼭⼿線を降り、JR上野駅の公園改札出⼝の前でその男と出会った。僕は上野の森美術館で開催されていたVOCA展2021(会期:2021年3⽉12⽇〜3⽉30⽇)という展覧会に作品を出品していて、その会場に向かっていた。新型コロナウイルスの感染拡⼤の影響もあって、上野駅の⼈流はいつもよりは少なく、アフリカ系の彼にすぐに気付くことが出来た。
彼はその場所で居⼼地悪そうに周囲を⾒回しながら、ややくたびれた格好の中年男性に硬貨を渡していた。マスクによって表情の半分は⾒えないが、アフリカ系の彼が困惑しているのがわかる。中年男性が⽴ち去るのを待ち、彼に声を掛けた。
“Are you okay?”
“He was begging for money.”。
上野駅も様々な事情を抱えた⼈たちがいるものだ。アフリカ訛りの英語はかすれて細かった。
“Are you okay?”
“He was begging for money.”。
上野駅も様々な事情を抱えた⼈たちがいるものだ。アフリカ訛りの英語はかすれて細かった。
マーケットに通ずる出⼝を探しているというので、彼を⽬的の改札まで案内することにした。今⽇は⿂を買いに来たらしい。
僕は『MOTOマガジン』という在⽇アフリカ⼈を取材する雑誌を作っていて、インタビューのきっかけにもなるかなと思って、彼に声を掛けたのだ。また、ひょんな思いつきではあるが、状況が許せば彼を上野の森美術館の展⽰会場に案内したかった。僕が描いているアフリカで出会ったジンバブウェ⼈の絵を観てもらい、彼の反応を知りたいと思ったのだ。歩きながら⾃⼰紹介をした。
“My name is Moto. I was born in Zimbabwe.”。
彼は少し驚いた調⼦で、
“Oh, so you’re African?”
と返した。⾃分がアフリカ⼈かどうかというのは、とても答えづらい質問である。
1986年にジンバブウェで⽣まれ、幼少時をその地で過ごした僕ではあるが、友⼈であるネイティブのジンバブウェ⼈、あるいは⼊植者の2世、3世とはどうやら違う出⾃を⾃覚していた。かと⾔って両親が⽇本の出⾝だから、⾃分が「⽇本⼈」かというと、それに対しては反射的に違和感を感じる。なぜなら「⽇本」はどう考えても僕のホーム(故郷)とは思えないからだ。ここに住んでしばらくとなるが、この国のナショナリティーに溶け込むまいとする⾃分もいる。僕は返答に窮し、彼の質問を反芻した。「君はアフリカ⼈なのか?」。質問に答える代わりに彼のことを聞いた。新型コロナウイルスによるパンデミックというのもあるし、まさか観光ではないだろう。⽇本で何かの仕事をしているのだろうか。彼は、
“I’m a refugee.”
さらに、
“I’m from Congo and I will never go back”
と云った。
“My name is Moto. I was born in Zimbabwe.”。
彼は少し驚いた調⼦で、
“Oh, so you’re African?”
と返した。⾃分がアフリカ⼈かどうかというのは、とても答えづらい質問である。
1986年にジンバブウェで⽣まれ、幼少時をその地で過ごした僕ではあるが、友⼈であるネイティブのジンバブウェ⼈、あるいは⼊植者の2世、3世とはどうやら違う出⾃を⾃覚していた。かと⾔って両親が⽇本の出⾝だから、⾃分が「⽇本⼈」かというと、それに対しては反射的に違和感を感じる。なぜなら「⽇本」はどう考えても僕のホーム(故郷)とは思えないからだ。ここに住んでしばらくとなるが、この国のナショナリティーに溶け込むまいとする⾃分もいる。僕は返答に窮し、彼の質問を反芻した。「君はアフリカ⼈なのか?」。質問に答える代わりに彼のことを聞いた。新型コロナウイルスによるパンデミックというのもあるし、まさか観光ではないだろう。⽇本で何かの仕事をしているのだろうか。彼は、
“I’m a refugee.”
さらに、
“I’m from Congo and I will never go back”
と云った。
額と⿐筋の奥に彼の落ち着かない眼球の動きが⾒えた。祖国を後にし、⽇本に着いてからまだ数⽇なのだろう。男が着ている⾚いパーカー、新しいジーンズの向こうに、⼤陸間の移動を経た男の⾝体が呼吸をしている。今は新しい⼟地で落ち着くどころではないのだろう、彼は肩の筋⾁を強張らせて、何かに対して警戒をしているように思えた。
(つづく)
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4.FENICSからのお知らせ
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(1)2回シリーズ、無事、終了しました。(ワークショップ「写真でやってみよう!消費社会のフィールドワーク」)
2021年度早稲田大学特定課題研究「 ジェンダーの人類学と教授法に関する調査研究」(FENICS正会員の國弘暁子さん代表、松前もゆるさん、碇陽子さん、菅野美佐子さん、椎野若菜)との共催で小林美香さんを講師として実施しました。
多岐にわたる分野からのご参加、ありがとうございました。参加者は、年末に課題を出されることによって、年末年始のあいだ、日常をフィールドとみたて写真を撮ることを実践しました。それにより自身の着眼の仕方の変化に気づいた人が多くいました。日常にあふれる、否応なしに見せられる広告。そこから、私たちはどう導かれているのか?広告にひそむジェンダー観について、多くの発見があったとともに、今後どう扱っていくか、多くのリサーチクエスチョンを得られました。
(2)「フィールドワークと性暴力・セクシュアルハラスメントに関する 実態調査」アンケート開始
FENICSと協働しているフィールドワークとハラスメント(Harassment in Fieldwork:HiF)では、人文社会科学系学協会男女共同参画推進連絡会(通称GEAHSS)、また理系中心の⼀般社団法人男女共同参画学協会連絡会の後援を得て、学会の枠を越えて実施学会名鑑に掲載されている各学会に実施協力を依頼しました。受け入れていただいた学会では周知され、アンケートが開始されています。
FENICSの関係者のみなさまにも学会での周知に際し、多大なご協力をいただきました。通知を受けた方々は、ご協力のほど、よろしくお願いいたします。
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5.FENICS会員に関するニュース
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FENICSの活動のなかで、嬉しい受賞のニュース、二件をお伝えします。
★川瀬 慈さん(FENICSシリーズ15巻『フィールド映像術』共編者)さん
ご著書『エチオピア高原の吟遊詩人 ―― うたに生きる者たち』(音楽之友社)にてサントリー学芸賞を受賞!
フィールドワークと映像、という手法で分野を超えたご活動が花開き、進化が止まりません。
★金森 万里子さん(東京大学 公衆衛生学・社会疫学)
獣医学部出身の金森さん。ひとつの分野の中では、自らの関心をどう展開していけばよいのか。誰でも悩みます。そのようなとき、FENICSの集まりにいらしていたときのことを思い出します。
このたび、第12回(2021年度)日本学術振興会 育志賞を受賞なさいました。
研究テーマは「農村地域の自殺に関係する社会環境要因の解明と地域活動モデルの構築」。
金森さんのHPのテーマは「人も動物も健康で幸せに暮らせる社会へ」
また、機会をつくってお話いただきたいと思います。
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以上です。お楽しみいただけましたか?
みなさまからの情報、企画、お待ちしています。
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メルマガ担当 椎野(編集長)・澤柿
FENICSウェブサイト:http://www.fenics.jpn.org/