蔦谷匠(人類・考古学,生物学・京都大学)
2017年10月26日(木)、北海道大学低温科学研究所にて、「“フィールドワークxライフイベント”情報交換&交流会」というイベントが開催された。主催は北海道大学低温科学研究所・共同研究集会と、北海道大学人材育成本部女性研究者支援室である。
低温科学研究所副所長である福井学さん、および、フィールドワーカーをつなぐ活動をしているNPO法人であるFENICS代表・椎野若菜さんより、それぞれ開会の挨拶と、趣旨説明があった。
その後、最初に話されたのは、国立科学博物館の久世濃子さん。久世さんはボルネオ島で10年以上フィールドワークを続けられているが、最近は長女や次女をつれてオランウータンの調査に出ているという。子供を調査につれていきたいと考え、妊娠中から準備をしていたそう。最寄りの街まで車で悪路を2-3時間走らねばならない熱帯雨林の真ん中で、子供の健康を維持するために、免疫的なメリットのある母乳哺育を継続し、荷物を減らしゴミを出さないため、おむつ無し育児を試みたとのこと。母乳哺育を確立・継続するためには、子供を産む病院の選択が重要であることを調べ、産院選びから計画的に進められた。そうしたスタイルを実行するために、配偶者さんも積極的に育児をされており、会社でもいわゆる「育メン」のスタイルを自分から作っていき、それを周りにアピールされているそう。あらかじめ入念に調べて計画していくことで、ある程度は苦労や不測の事態が避けられることを、具体例を豊富に交えながら説明してくださった。
次に登壇された東京外国語大学の椎野若菜さんは、必ずしも日本にいるとは限らないウガンダ人の配偶者とのあいだにもうけた長男を、ほぼ「シングルマザー」として育てられた経験を発表してくださった。出産まではウガンダの村落で住み込み調査をされていた椎野さんは、子供の世話をすべて自分でしなければならないという状況で、調査や研究のスタイルを大きく変えて、都市部での共同研究や出版物の編著を主軸に研究を進めていく決断をされる。感染症や体調不良に悩まされながら、国際学会のオーガナイザーをされたり、調査に出られたり、パワフルに活躍される姿勢には勇気づけられるものがあった。子供と、80歳を越えた母親とともに、インドの避暑地で現地研究者と打ち合わせをされた16日間の経験も紹介され、子供の世話だけでなく、親の介護についても、ライフイベント上考えていく必要があることを話された。幼い子供と年老いた母親とともに、「キャラバンみたいな」調査を実施せざるを得ない状況の、欠点 (できる仕事量の低下) や利点 (子供や老人を通した新たなつながり・視点) も紹介してくださった。
休憩を挟んだ後、北海道大学の長堀紀子さんが、北海道大学における女性研究者支援の話をしてくださった。長堀さんは、生命科学の研究室でPIをされた後、省庁で働かれ、その後、北海道大学で人材育成の実践と研究をされるという、ユニークなキャリアを経ている。冒頭では北海道大学の教員構成が男女別・年代別になった人口ピラミッドを見せてくださったが、マス・ゾーンは50代以降の男性教授で、男性に比べて非常に数少ない女性は、しかもほとんどが助教以下のポジションにあることが一目瞭然であり、会場からは驚愕のため息がもれた。保育所激戦区の札幌市では、外国人留学生・研究者は、保育所に子供を入れるのに日本人以上に苦労するそうで、場合によっては、研究のために日本に来ているのに、子供が預けられずに大学に来ることもできなくなる場合があるそうだ。こうした事例へのサポートも含め、支援室では、個人の状況に合わせて柔軟に仕事の内容やスタイルを作れる環境を構築できるよう、日々さまざまな取り組みをされている。質疑応答では、研究不正のeラーニングと同様、ダイバーシティや女性研究者支援に関するプログラムの受講を研究者に義務化できないものだろうか、といった意見もあがった。
その次には私が、自然人類学の観点からのヒトの授乳・離乳行動の考察と、学振PDとしてリモートワークをしているここ1年間の状況を紹介した。前半の話題については拙文「授乳・離乳から見据える生物と文化の齟齬 (現代思想2017年6月号: 115–127)」を参照いただくとして、後半の話題をここでは述べる。私は、京都大学に所属しているが、配偶者は琉球大学でポスドク研究員をしており、2017年4月より、所属は京都大学のまま、結婚を機に居住地だけ沖縄に移し、配偶者との同居を開始した。普段は沖縄の自宅でデスクワークを進め、事務作業、実験、フィールドワークなどを、京都、東京、マレーシアなどで実施している。自信満々で在宅ワークを開始したものの、家事と仕事の切り替えのコツをつかむのに半年以上かかり、また、次年度以降の職探しなどもあって研究が進まず、孤立した環境で気がふさぐことも多くなった。周囲の先輩研究者、同僚、事務の方からあたたかいサポートを受け、現在はなんとかもちなおしている。そうした悩みや葛藤を紹介したが、質疑応答のコメントにもあったように、こうしたリモートワークによる悩みは、女性研究者のほうがずっと昔から体験してきたものであり、(私の見識不足のせいかもしれないが) そうした声がいかに男性研究者に顧みられず、知られてこなかったのかということを実感した。
最後に、北海道大学の的場澄人さんが、中年以降の男性研究者のフィールドワークのしかたを紹介された。的場さんは、母親の介護が必要になったことから、長期間のフィールドワーク調査にでかけることをしばらく断念されている。それだけでなく、同僚などの男性研究者の事例をいくつも紹介してくださった。職位があがると、学内業務も加わり、フィールドワークにでかける時間も取りづらくなる。そうした状況でいかに研究をつづけるか、個人個人の工夫を話してくださった。これ以前の発表や質疑応答が白熱し予定時間を大幅に超過していたため、的場さんは数分で発表を終えられてしまったが、的場さんの言う「首から下で研究する」研究者がさまざまな事情でほとんどフィールドに出られなくなったときどうするか、普段から考えていて損はないと感じた。
質疑応答のなかでもっとも興味深かった視点は、フィールドワークに「連れまわされる」子供が、その体験をどう感じていて、将来それが成長や発達にどう影響してくるか? というものだった。たとえば久世さんの長女は、比較的早くから森でオランウータンを観察することに飽き、次女も最近は「日本の保育園のほうがいい」と話すようになっているそう。海外の調査についていきたいわけではないが、親とは離れたくない、という葛藤が子供にはあるようだ。椎野さんの子供は、海外調査の環境を楽しみ、英語でコミュニケーションをとり、友人や、ときには恋人もつくってしまうそうだ。日本の保育園の日本人しかいない均質な環境が逆に苦手で、海外調査に行くと言うと、現地にいるおともだちに会える! と喜ぶそう。親である研究者の意向だけでなく、子供の希望や葛藤にも注意を向ける必要があるのではないかという意見が提示された。
保育所の託児時間を超過するおそれなどがあるため、こうしたイベントでの時間超過は禁物であると、司会をされた的場さんが自嘲気味に話されていたが、発表や質疑応答は本当に盛り上がり、穏やかな雰囲気で、参加者からも、自身の体験やその際に感じた気持ちなどを話していただいた。ライフイベントとフィールドワークに関する具体的なハウツーから、研究者のダイバーシティやより良いWLBの確立に向けて、もっとも重要だがもっとも声が届きにくい層にどのようにアプローチするかまで、さまざまな情報や意見が交換された。