FENICS メルマガ Vol.75 2020/10/25 
 
1.今月のFENICS
 
 あっという間に、秋が深まりました。どうも、暑い気温から体が慣れていません。みなさんは、もう適応なさっているでしょうか。この秋は春に中止だったさまざまな仕事も一気にやってきて、みなさんお忙しくお過ごしのことと思います。
  
新型コロナウイルス感染状況は相変わらず、むしろ人びとの疲れとともにウイルスもせまってきている気すらします。小学校にも、大学にも、ちらほら出るようになりました。ですが、やはり、よく人だかりもみられるようになりました。
アート関係者の方々は大変かと思います。FENICSへご提案がありましたら、ぜひともよろしくお願いいたします。
オンラインの良さはよさ、で受け止めていきたいです。我が家にいながら講演を聞き心が満たされることもあります。心身の健康がなにより、基本だと思わされます。
 
それでは本号の目次です。
 
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1 今月のFENICS
2 私のフィールドワーク  (松井生子)
3 子連れフィールドワーク 連載3(蔦谷匠)
4 FENICSからのお知らせ 
5 FENICSイベント 
6 会員の活躍 
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2.私のフィールドワーク
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新型コロナウィルス感染症流行下の調査村(カンボジア・プレイヴェン州)-フィールドの母との対話で考えたこと  

松井生子(FENICS正会員・東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所 ジュニア・フェロー)
 
 私はカンボジア東部、プレイ・ヴェン州のメコン河沿いの村で、同国在住のベトナム人について調査・研究をおこなっている。しかし、今年は他の研究者同様、新型コロナ・ウィルスの感染拡大により調査に行けなくなり、すっかり気落ちしてしまった。現地で確認したいデータがあるのに、確認できない。十分な補足調査ができないまま、論文を書かなければならない。ストレスから、一時期、パソコンの画面を見ることができなくなってしまった。また、東南アジア関連の情報などに接すると「行くことができない」と考えてしまって、不安感が増大した。  

私には調査村に擬制的親子関係にあるベトナム人の父母がいて、村の状況は母が電話で教えてくれた。村は感染者が出ているわけではなく、平和なようである。母は獲れた魚を売り、感染症流行前と変わらない生活をしていた。しかし人々の移動は制限されていて、村の外から来た人は全員、村に駐在する憲兵が拘束しているという。これは調査村だけではなく近隣の他村も同じで、父母は対岸に嫁いだ次女から「捕まるので来ないで」と言われていた。

2019年12月、市場街ネアク・ルアンの大乗仏教寺院にて、フィールドの母との一枚。翌年渡航できなくなるとは、思いもしなかった。

 調査村はベトナムとの国境から20キロほど離れた地点に位置するが、その国境ゲートも閉鎖されてしまった。ベトナム人の村人たちはベトナム側に住む親戚がいて、他界した人の命日におこなわれる忌祭や、新年節などの機会にそれらの人々を訪問していた。親戚の家に子どもを預け、ベトナムの学校に行かせることもあった。2009年に道路が整備された後は、ベトナムとの往来が容易になり、就労目的でベトナムへ移動する人が増加した。しかしその往来は今回、突然、遮断されることになった。私の母の長男は一家全員でベトナムに移動して働き、長女もまた、離婚して実家に戻った後、子どもを父母に預けてベトナムに出稼ぎに行っていたが、彼らも調査村に戻って来ることができなくなった。長男は母が恋しくて、毎日電話をかけてくるという。  

そんな話をしながらも、私に電話をかけてくる母はかなり明るく、あっけらかんとしている。先日も電話で「井戸をつくった。川の近くで、とてもきれいな水だ。ナーコが来たら水浴びできる」と、嬉しそうに、すぐにでも会えるような感じで言っていた。
考えてみれば、カンボジア生まれの母は1970年代前半の内戦中、戦闘を避けてベトナムに逃れた経験を持っている。母はベトナムで生活した後、カンボジアの状況が落ち着き始めた1983年に調査村に戻った。それに比べれば、今回は差し迫った身の危険がなく、国境を越えた往来も比較的早期に再開されると思われ、母にとってそれほど大きな問題とは感じられていないようである。  

 ベトナムでの戦争、カンボジアでの内戦とそれに続くポル・ポト政権時代、その後の国際的孤立の時代は、研究者もこれらの国での調査がままならなかった。今は現地にウィルスを持ち込んでしまうリスクや、カンボジアの入国制限、日本政府による水際対策等を考えると簡単に渡航できないが、全く現地調査の見通しが立たなかった時代よりも、まだ状況は良いといえる。私はそう自分に言い聞かせ、今日も担当する授業や自分の原稿に向かう。早く、簡単に渡航できるようになりますように。
 
 
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3.子連れフィールドワーク(連載)
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ペルー子連れフィールドワーク (2) 飛行機移動
 
蔦谷 匠(FENICS正会員・人類学・総合研究大学院大学)
 
今回のテーマは子連れフィールドワークにおける移動について。生後1年4ヶ月の子供をつれた今回のペルー調査でもっとも苦しかったのが、国際線の飛行機移動だった。成田からロサンジェルスまで10時間 (帰りは14時間)、ロサンジェルスからリマまで9時間 (帰りは7時間) の、大人でもなかなか堪える飛行機移動である。出張のときの国際線移動というと、ふだんは、邪魔が入らず、インターネットに気を散らすこともなく、まとまった時間を仕事や読書や睡眠に集中できる絶好の機会である。  

しかし、子連れの場合、そうした絶好の機会は苦行の時間に変わる。まず、子供は飽きる。狭い座席に押し込められて変化に乏しい周りの環境を見回しているだけでは物足りなくなってくる。子供はちょうど歩き始めたのが板につきはじめた時期であり、自分の足さばきをほかの乗客やCAさんたちに見せびらかさんとするばかりに、通路を前に行ったり後ろに行ったり。席に戻ってきてはまたすぐに歩きだしていくのを、妻と交代でついていって見守った。機内のお散歩、絵本とシール、機内アミューズメントの映画、iPadの教育アプリなどを繰り返しては間をつなぎ、バナナを食べて (乳幼児用機内食のおかゆはひとくち食べて吐き出した) おっぱいを飲んでやっと眠ると、ようやくひといきつけるのだった。とはいえその時間で何かができるわけもなく、子供が眠れば親たちも、今のうちに! と疲れきった体を座席にもたせかけ、つかのまの睡眠をなんとか確保するのだった。乳幼児用バシネットを予約しておいたが、子供をそのなかに寝かせて親たちは自由に眠れるため、本当に助かった。  

一度、持ってきたおもちゃや絵本に飽き、ふだん見慣れない映画も楽しくなく (我が家にはテレビがない)、かんしゃくが爆発して機内で本当にどうしようもなく大泣きしてしまったこともあった。ほかの乗客やCAさんたちの視線が痛い……と縮こまりながら、えびぞりになって抱っこを拒絶する子供を通路であやしていると、そこに現れたのは、同じ飛行機で現地入りする共同研究者のNさんだった。自身も一児の父であるNさんは「これをあげようかな〜」と、1–2歳児向けの雑誌を子供に渡してくれた。著名なパンのキャラクターが描かれたその表紙を見た子供はぴたりと泣き止み、雑誌を手に席に戻ると、シールや紙工作でおとなしく遊びはじめたのだった。このとき、Nさんの用意周到さに心からの感謝を覚えるとともに、自分たちの準備不足と子供の生態に対する観察眼の至らなさを痛感したのだった。  
 
しかし、子連れということで、大行列のできているチェックインカウンターや入国審査では優先レーンに並ばせてくれたり、横に乗客のいない3人席に移動してもらえたりと、本当にありがたい配慮をしてもらったこともたびたびだった。子連れの場合には、少しの配慮でも本当にありがたい。  

日本を発つ飛行機ではまわりの乗客の視線が厳しく、子供が泣き声をあげるたびに、斜め前に座っていた若い乗客が非難するような目でこちらを振り返ったり、空いている席に移動させてもらえるとき、もともと隣に座っていた中年の乗客があからさまに安堵したのが目に入ったりした。他人に迷惑をかけてはいけないという規範が行き過ぎて、却ってみんな居心地が悪くなっているような気がした。しかし、米国とペルーのあいだをつなぐ便では、赤ちゃんでも機内にいることを許されているような寛容な雰囲気を感じ、ほかの乗客に対する申し訳ない気持ちはだいぶ緩和された。そのようなことがあって、日本に帰国する飛行機をげんなりした気分で待ち構えていた。しかし、帰国の時期はちょうどCOVID-19がアウトブレイクしはじめた頃で、機内はがら空きであり、精神的な負担はだいぶ緩和された。ものわかりのけっして良くはない赤ちゃんを満員の飛行機に連れていたらと想像すると、その精神的・肉体的負担にぞっとしてしまう。

飛行機から降りて足を伸ばしながら食べた食事は格別だった

帰国後、国際線の飛行機移動が大変でしたという話をすると、同僚や上司から全力の同意が得られた。行ってしまえば楽なんだけど国際線は苦行だよねとか、離着陸時の座席から動けないときに子供がうんちを漏らしてしまったとか、明けない夜はないと思ってひたすら耐えた、という話を聞いた。私たちも、国内線の飛行機移動は子供が生後3ヶ月の頃からたびたび経験していたが、もっとずっと時間の長い国際線移動は今回初めてで、これには別次元の苦しさがある……と理解することができたのだった。
 
(つづく)
 


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5.FENICSからのお知らせ
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(1)ハラスメントについてのイベント、また現在鋭意編集中の第4巻『現場で育つ調査力』に関するイベントも計画中です。
ご希望がある場合は、お声をおよせください。
(2)第7巻『社会問題と出会う』(白石壮一郎・椎野若菜編)が重版となりました。みなさま、ご入手、授業等でのご利用、まことにありがとうございます。
まだまだ、どうやって学生たちの「フィールドにいる」想像力をかきたててもらい、思考してもらえるか、その授業の方法、工夫をしていきたいと思っています。
ご意見、ご事例、募集中です。ぜひともご連絡ください。
 
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6.会員の活躍
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①FENICS正会員の春日 聡、分藤大翼さん、お二人による作品、映画「からむしのこえ」。
福島市内で初上映だそうです。FENICSでも企画したいと思っております。
 
<フィルムアーカイブズ>
【日時】2020.11.22 sun. 13:00-15:10
【会場】とうほう・みんなの文化センター 小ホール
【プログラム】
◎報告 江戸時代の農書に見るからむし栽培-『会津農書』を中心に- (県文化振興財団歴史資料課長 渡邉智裕氏)
◎上映 からむしのこえ(2020年 国立歴史民俗博物館)
【主催】福島県文化振興財団
 https://www.fcp.or.jp/history/event/1743
 
映画「からむしのこえ」公式サイト https://karamushinokoe.info/ 
 
 
②増田研さんがご登壇だった、公開シンポジウム「Withコロナの時代に考える人間のちがいと差別 ~人類学からの提言~」がyoutube公開されました。
「違い」をみつけたがる私たちホモサピエンス。
自然人類学からの違いが大したことがない「事実」からは、植民地主義以降、人間のつくっていた虚構をもとにした差別意識の正当化の作業、罪は大きすぎると改めて感じます。
中学生くらいから、理解できそうな、そしてとても勉強になる贅沢な講演ばかりです。
 
横浜中華街から考えるゼノフォビア(外国人嫌悪)
陳天璽(早稲田大学)
 
健康希求行動が生み出す差別
増田研(長崎大学)
 
感染症と人類 – ゲノム研究の視点から
徳永勝士*(国立国際医療研究センター)
 
BLM運動から考える身のまわりの人種差別
竹沢泰子*(京都大学)
 
差別をどう乗り越えるのか – 人類史の視点から
海部陽介(東京大学)
15:20 第二部 パネル討論
 
司会:高倉浩樹**(東北大学)
 
パネリスト:
山極壽一*
中谷文美*(岡山大学)
斎藤成也*(国立遺伝学研究所)
松田素二*(京都大学)
 
 
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以上です。お楽しみいただけましたか?
みなさまからの情報、企画、お待ちしています。
 
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メルマガ担当 椎野(編集長)・澤柿
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