2021年12月3日、FENICS共催/JASCA主催「ジェンダー、ライフ、ワークを語り合うパラレルサロン」
「ジェンダーと文化人類学」サロン 店主:中谷文美(岡山大学)
報告者:出口杏奈(岡山大学・学部生)
12月3日(金)夜、「ジェンダー、ライフ、ワークを語り合うパラレルサロン」がオンラインにて行われました。金曜の夜、19時から23時まで、テーマが異なる4つのサロン(トークルーム)が2時間ごとに2店ずつ店開き。参加者は自由にお店を行き来することができ、それぞれのサロンで店主とお客さんがまったり語り合いました。ここでは、19時からの第1部に開かれた中谷文美先生のサロン「ジェンダーと文化人類学」の様子をリポートします。
サロンは19時に店開き。閉店まで常に15名程度が来店していました。文化人類学からだけではなく、他分野からの参加者も。オンラインということもあり、フィールドから参加される方、お子さんと一緒に参加される方もいらっしゃいました。話題は参加者自身とジェンダーとのかかわり、ジェンダーという切り口でのフィールドでのポジショニング、ジェンダーについての授業を行ううえでの文化人類学ならではの難しさ、アカデミズムにおける女性の進出の現状など、研究のこと、授業のこと、子育てやパートナーとの家事の分担のことまで多岐にわたりました。
ジェンダーやフェミニズムをテーマとして扱うことが多い中谷先生。イギリスで博士論文を執筆していた1990年代には、ジェンダーに関する議論がリアルタイムで積み重なっていく様子が目に見えてわかったそうです。しかし、現在はジェンダーに関する議論は、どうも停滞気味なのではないかと感じているそう。そんな状況のなか、参加者のみなさんは、研究や日常生活においてジェンダーとはどのようなものと考えているのか。そんな店主から参加者への問いかけから、サロンは始まりました。
店主からの問いかけに、参加者からはいろいろな反応がありました。新たな勤務先である大学に「女性専用車両」が設置されており、その廃止を求めて大学側と議論の真っ最中の方。海外をフィールドとする自分自身が、コロナ禍においてホームである日本もまた苦境に陥っている中で人類学者としてどのようなアプローチができるのか、と考えておられる方。エジプトと日本におけるFGM(女性器切除)について研究されている方など、参加者とジェンダーとの関りはさまざま。ケニアをフィールドとし、牧畜民とともに疑似的な家族関係を結んで暮らしている男性の参加者は、フィールドの女性と共に家事を行うことが多いよう。男性のフィールドにおけるお気に入りの場所はホストファミリーのお母さんの台所。現在は「自分はフィールドにおいて家事の大変さを経験しているけれど、日本の男性はいつ・どのようにして家庭の困りごとを経験しているのだろうか?」「日本にいて、男性が家庭での困りごとについて語っている様子はあまり見なかった」といった疑問を抱えているそうです。
文化人類学の特徴として、調査者がフィールドに入るとき、生物学的な規定では決まらない社会的な性別を調査者自身が選択するということがあります。例えば、生物学的な規定では女性でありながらも、男性視点からフィールドを理解したいという調査者がいて、その人がずっと男性と共にフィールドで過ごしていれば、その人はフィールドの人たちからカッコつきの「男性」であると社会的にみなされる場合もあるということです。もちろん、上手くいかない場合もあります。サロンには、生物学的規定では男性でありながらも、フィールドにおいては女性と過ごすことが男性と過ごすことより多い参加者の方がいらっしゃいました。長老や同性代の男性には受け入れられませんでしたが、女性たちはその方が女性たちの場所にいることを受け入れてくれ、今では女性の場所のどこにでも引っ張っていかれるそうです。
この男性参加者が自身のフィールドにおけるポジショニングの経験を共有してくれたことから、サロンの話題はその後、ジェンダーという切り口からの「フィールドでのポジショニング」という問題に移ります。この点について店主の中谷先生は、文化人類学のフィールドワークにおいて、調査者が「ジェンダー」というものに無関係でいることはできない。調査を行う上で、フィールドワーカー自身がどのように現地にポジショニングするのか/されるのかが、フィールドを理解するうえでも重要な点になってくるといいます。中谷先生は、ご自身のフィールドであるバリでの調査で、全体を俯瞰するような存在である男性ではなく、あえて女性と共に暮らしていたそう。性別役割が存在するフィールドを調査するうえで、男性、女性のどちらかの視点に立つかを選ぶことによって、それぞれが見ている世界を、より深く理解することができたそうです。そうしたエピソードに参加者が頷く様子も見られました。
カメルーンをフィールドとする女性は、自身のライフイベントによってフィールドとのかかわり方が変化した経験を共有してくれました。その女性は、子どもをもつ前はフィールドの若い男性とよい関係を築くことが出来ていましたが、子どもを産んでフィールドに戻り「子どもが生まれたよ!」と報告すると、若い男性よりも年配の女性が自分の子どものことのように喜んでくれたそう。調査者がポジショニングを「選ぶ」ということがある一方、調査者自身の変化によって自然にポジショニングが変化することもあるようです。それに伴い、フィールドに対する新たな理解が生まれたという意見もありました。フィールドと調査者とのかかわりが経年変化していく点もフィールドワークの興味深い点です。
ほかには、ある参加者から次のような興味深い意見がありました。それは、フィールドにおいてあえてどちらの社会的な性別(男/女)も選択しないことによって、フィールドと日本における同調圧力の違いが見えてきた、というものです。その方のフィールドはケニアですが、「社会的な性別がどちらでもない人」に対して「どちらかを選び取れ」という圧力が、日本と比べて少ないように感じられるそう。1つの属性を選択することで見えてくる世界と、あえて曖昧な存在であろうとすることで見えてくる世界が異なってくることも、自身がフィールドの社会の一員として長期間の調査を行うフィールドワークならではのことなのかもしれません。
参加者にFGMの調査を行っている方がいらっしゃったことから、次の話題はFGMに。日本とエジプトにおけるFGMの現状に対するトークが重ねられたのちに、「FGMを授業で取り扱うことの難しさ、学生に伝えることの難しさ」へと話題は移っていきました。ある参加者によると、FGMを授業で取り上げると、学生から「FGMは絶対ダメ!」という反応が返ってくることがあるそうです。フィールドで行われていることが、学生自身の身の回りの問題にも通じていること。一見自分たちの常識では信じられないようなことが、その文化に属する人々にとっては重要なものである一方、個人の身体や精神を傷つけている部分がある現状は、外部からの「ダメ!」の否定の一言で表現しきれるものではないことを学生にどう伝えるのか。ジェンダー規範の強い社会で調査を行うことが多いフィールドワーカー。フィールドの社会の一員として、そして調査者として調査を行ってきたからこそ、「文化相対主義」と「人権主義」との絡まりをどう学生に伝えるかが難しい、という意見が聞こえました。
また、別の方によると、フィールドにおけるジェンダーにまつわる事例を授業で紹介した後、一番残念に感じる学生たちの反応は、「ああ、日本に生まれてよかった」というものだそう。フィールドの事例がいかに自分たちの生活と地続きでつながっているものであるのかを学生たちにどのように伝えるかという課題が話題に上がりました。この話題に対し、そうしたつながりを感じてもらうために、授業の冒頭で「最近気になったジェンダーに関するニュースを教えてください」といった問いかけを行っているという方、フィールドでの出来事を他人事として捉えるのではなく自分のこととして考えてみてもらうために、「あなただったらどうする?」と学生に聞いているという方もいらっしゃいました。
気づけばサロンも閉店間近。最後は、ライフやワーク、あらゆる場面においてジェンダーというものと無関係ではいられない参加者自身が、今後アカデミズムにおける女性としてどのように行動していけるのか?という話に。ある参加者からは、「ほかの分野の方から、フィールドに行くときに女性が家の冷蔵庫のことを気にするなんて、文化人類学はアカデミズムにおける女性の進出が遅れているね、と言われた」というエピソードが紹介されました。このエピソードに対して、「フィールドに行くときに冷蔵庫の中身は確認しなかった!(冷蔵庫のことは夫に任せた!)」という歴史学者の方は、次のように話していました。「パートナーとの交渉の結果、そういう選択ができるようになった。たまたま良いパートナーに巡り合えてラッキーなのではなく、交渉しないと、ものごとは良いように動かない!」。この発言に対しては、参加者のあいだに笑顔や頷きが多くみられました。中谷先生は「そうした交渉の仕方にもコツがあるかもしれないですし、そういったノウハウも共有していきたいですね」とまとめました。
サロンを拝聴しながら、私たちはどこに行こうとジェンダーというものから逃れることはできないのだな、と考えていました。筆者は現在学部3年で、性自認は女性です。自身の半径5m以内での感覚ですが、生物学的に、社会的に女性として生きていくことを肯定的に捉えることができない女子大学生は少なくありません。自分でコントロールできない身体(生理・妊娠・出産など)、なんだか納得いかない結婚制度、子育て、貧困、非正規労働などなどのことを考えると、ネガティブな気持ちにもなります。しかし、今回のサロンで見ることが出来たのは、そんな現状を研究者として、教育者として、生活者として直視し、仕事や子育てで目まぐるしく忙しい中でもなんとか行動を起こしている先輩方の姿でした。私たちは「セックス」からも「ジェンダー」からも逃れることができない現状に居る。ならば、ここから私たちはどうするのか。その問いの前に、これまで/現在/これから、共に立つ人がいることに安心する自分がいました。
店主を中谷先生とする「ジェンダー、ライフ、ワークを語り合うパラレルサロン」は研究者として、教育者として、生活者としてのジェンダーとのかかわりにまつわるお話が幅広く繰り広げられ、サロンの最後は参加者のみなさんの拍手で締めくくられました。参加者のみなさんにとって、(そして筆者にとって)大きな問いの前に共に立つ仲間の存在を感じることができる金曜の夜でした。このような空間が、あらゆる属性の人に存在することを願います。